東京地方裁判所 平成5年(ワ)8372号 判決 1996年2月23日
原告 原田智子
右訴訟代理人弁護士 大沼和子
被告 株式会社スコラ
右代表者代表取締役 久保田裕
被告 株式会社青葉出版
右代表者代表取締役 武田紘
右両名訴訟代理人弁護士 相田利隆
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告らは、原告に対し、各自金四一六万円及びこれに対する被告株式会社スコラは平成五年五月二五日から、被告株式会社青葉出版は同月二三日から、各支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、その費用をもって、原告のために、被告株式会社スコラ発行のSakura広告欄に、B五判一頁の大きさで、別紙2記載の内容の謝罪広告を一回掲載せよ。
第二事案の概要
一 争いのない事実
1 原告は、株式会社集英社発行の「月刊セブンティーン」昭和五八年一一月号に掲載された「おつむがパルコ」で漫画家としてデビューし、その後現在に至るまで人気漫画家としてレディーズコミック界で活躍している。
被告株式会社スコラ(以下「被告スコラ」という。)は、雑誌の企画・編集・発行・販売等を業とする株式会社であり、ニューレディーズコミック「月刊Sakura」(以下「サクラ」という。)を発行している。
被告株式会社青葉出版(以下「被告青葉出版」という。)は、雑誌及び書籍の出版等を業とする株式会社であり、サクラを編集している。
2 原告と被告らは、平成二年六月、原告においてサクラにおける連載漫画「衝撃のシリーズ やっぱりブスが好き」(以下「本件シリーズ」という。)の原画を作成すること、被告らが右原画を利用してサクラに掲載し出版することを許諾することを内容とする寄稿契約を締結した。
原告は、同年七月、本件シリーズの第一回目である「衝撃のシリーズ やっぱりブスが好き STAGE1 スリーピング・ブーティ」の原画を作成し、被告らは、右原画を利用して同年八月八日発行のサクラ平成二年九月号(以下、サクラの発行年はすべて平成二年である。)に掲載して出版した。
3 原告は、本件シリーズの第二回目である「衝撃のシリーズ やっぱりブスが好き STAGE2 ブリンセス ブリンセス」(以下「本件作品」という。)の原画合計二四枚(以下「本件原画」という。)を作成し、被告青葉出版に引き渡した。
4 被告らは、本件原画の絵柄、セリフ(台詞)、書文字のうち、別紙1のとおり、合計七五か所に、加筆、削除、変更するなどの改変を加えた。
5 被告らは、右改変した原画を利用して同年九月八日発行のサクラ一〇月号に掲載して出版した。
二 本件は、原告が被告らに対し、被告らが本件原画に改変を加えたことは、原告の著作権(複製権)及び著作者人格権(同一性保持権)を侵害するものであるとし、本件原画を改変するのであれば、本件作品の掲載を拒否する旨の原告の意思に反して本件作品を掲載したことは、著作者人格権(公表権)を侵害するものであるとして(被告スコラに対しては、予備的に民法七一五条により、または、原告の著作権及び著作者人格権を侵害した作品を掲載し、発行した行為が違法であるとして)、
1 著作者人格権の侵害に基づき、
(一) 本件原画の修復に要する損害として、原画一枚につき一万五〇〇〇円、二四枚分の合計三六万円の支払い、
(二) 同一性保持権等の侵害による慰謝料として、二〇〇万円の支払い、
(三) 漫画家としての声望を傷つけられ、毀損された原告の社会的評価の回復のため、別紙2の内容の謝罪広告の掲載、
2 著作権(複製権)侵害に基づく慰謝料として、一〇〇万円の支払い、
3 弁護士費用として、着手金四〇万円及び成功報酬四〇万円の合計八〇万円の支払い、
を求めるものである。
三 争点
1 本件原画の改変についての原告の承諾があったか。
(一) 被告らの主張
(1) 原告と被告青葉出版の取締役編集長山下悦子(以下「山下編集長」という。)は、平成二年八月一〇日、本件作品についてのいわゆるネーム(セリフ)打ち合わせを行った。その際、原告が示したネームでは、登場人物中の鯰小路綾麻呂が秋篠宮を、十五夜月子が秋篠宮妃を想定していることが明らかであったため、山下編集長は、原告に対し、このネームは秋篠宮夫妻が登場しているとだれもが受け取るので、「鯰」、「綾麻呂」、「月子」とある部分を変更すること、その他皇室を連想させる用語やことさら丁寧な敬語を例示したうえ、これを普通の言葉にすること、絵も夫妻に似せないようにすること等を指示し、原告は、これを承諾した。
(2) 山下編集長は、同月二四日の原稿締切日を前に、同月二三日、原告方に電話したところ、原告が事前に知らせることなくモスクワへ旅行中であることを知った。山下編集長は、やむを得ず原告が帰国した同月二七日、原告に対し、電話したところ、原告が原稿は仕上がっていないがこれから大急ぎで完成させると確約したため、山下編集長は、原告に、翌二八日に下絵のコピーを渡し、最終原稿(原画)は同月二九日に完成させるよう、念を押した。
なお、締切どおりに原稿が渡される場合に下絵のコピーを受け取ることはなく、原稿が遅れる場合、予めセリフの写植を打っておくために下絵のコピーを受け取るものである。
(3) 同月二八日夕刻、被告青葉出版のアルバイト社員千葉郁磨は、原告から下絵のコピーを受領した。山下編集長は、右下絵のコピーを見て、登場人物が秋篠宮夫妻と瓜二つの似顔で描かれており、セリフ打ち合わせの際約束した用語・語句の訂正がされていないことに気付き、原告に対し、電話で強く修正を申し入れたところ、原告は、結局、「手直しします。」と了解の返事をした。そして、原告は、山下編集長に対し、皇族に似せず、皇室用語等を使用せず、皇室批判作品とならないよう、原画を描き、翌二九日までに完成することを約した。
(4) 原告は、同月二九日には本件作品の原画を完成させず、翌三〇日の夕刻になって、ようやく仕上がった旨の連絡があり、被告青葉出版の編集部員松田真一が原告から本件原画を受領した。しかし、本件原画には、皇族に似せず、皇室用語等を使用しないという前記約束に反し、皇族の似顔絵、皇室用語が使用されていた。
山下編集長は、直ちに原告方に電話して、本件原画を修正するよう申し入れたが、原告はこれを拒否した。そして、原告が、そのまま掲載するか、修正した場合は掲載しないか、いずれかしかない旨を述べたため、山下編集長は、被告青葉出版において修正する旨告げて、別紙1のとおり本件原画を修正した。
その際、山下編集長は、原告の立場を考えて修正は最小限にとどめ、一般読者からの抗議や右翼からの嫌がらせに、最小限度対処できるように配慮した修正を行った。
(5) 原告の前記(1) の八月一〇日の合意及び前記(3) の同月二八日の約束は、皇族を連想させる絵、セリフを作品にしないこと及び皇室用語等を使用しないことを合意したもので、右合意に反した原画を作成し、かつ原告自らこれを修正しない場合には、被告青葉出版において右合意に即した修正を行うことを承諾していたもの、少なくとも異議を申し出ないものとする合意があったものと解するべきである。
したがって、被告青葉出版の修正は、原告の右承諾ないし合意に基づいたものである。
(二) 原告の主張
(1) 本件作品の原稿締切日は平成二年八月一五日ないし一六日であり、原告は、同月一三日ないし一五日ころ、下絵のコピーを交付しているし、本件原画を交付したのは、同月一六日ころである。
また、原告がモスクワ旅行に行っていたのは、八月二一日から同月二七日までであり、被告らが本件原画を受け取ったと主張する八月三〇日は、夕刻からバレエ公演の鑑賞に外出したため、この日時に松田真一に本件原画を渡したことはない。
(2) 原告は被告らとの間で、皇室や皇族を連想させる絵、用語、セリフを使用しないとの合意をしたことはなく、被告青葉出版において修正を施すことに承諾したことはない。
すなわち、八月一〇日のネーム打ち合わせの際、山下編集長が述べたのは、漠然と出版界では右翼がこわいから、皇室がモデルなら、気をつけるように、というにすぎず、修正についての合意があったものとはいえない。また、下絵のコピーを交付した際に同人から言われたのも「絵が本人に似過ぎているので、ペン入れの段階で変えるように」ということと、セリフの「様」を「さん」に、「御結婚の儀」を「結婚式」に直すようにということであった。
なお、本件原画は皇室を誹謗したり茶化すことをテーマとしたものではなく、「女性は結婚したら家庭に入るのが当然という偏見が社会に根強くあること、しかしそれが本当に女性にとって幸せなことなのか。」というメッセージがテーマである。また、皇室を茶化すことを雑誌に掲載しないという不文律はない。
2 原告の請求が権利濫用にあたるか。
(一) 被告らの主張
(1) 前記のとおり、原告は、二度にもわたって、修正の合意ないし承諾をした。
(2) 原告は、被告らの編集方針に全く反して皇室批判作品を掲載しようとする意思を内心に秘め、右合意、承諾に反する原画をそのまま掲載、発行させる意図を秘して、前記のとおり承諾した。
(3) 原告は、右承諾により、被告青葉出版に、原告が右の合意に従うものと誤信させ、同被告が他の手段を講ずる余地がなくなる日程まで追い込んだうえ、合意に反する本件原画を八月三〇日夜に提供した。
すなわち、サクラ一〇月号は、九月八日が発売日であり、原稿締切が八月二四日、校了が八月二七日から二九日、下版が八月三〇日から三一日、印刷が九月一日から二日、製本が九月三日から四日、配本が九月五日から六日というスケジュールが予定されていたにもかかわらず、原告は、下版日の八月三〇日夜に本件原画を交付して、しかも、自らなすべき修正を拒否して、被告青葉出版に修正のうえ掲載することを余儀無くさせた。
(4) 被告青葉出版としては、右の段階では、次のとおり、他にとるべき手段がなかった。すなわち、
ア サクラは、一般向け娯楽漫画雑誌であり、皇室批判や皇室をパロディー化した作品をそのまま無修正で掲載することは、読者や他の作者からの抗議、右翼の抗議が予想され、販売や流通にも支障を来し、経営が成り立たなくなるから、不可能である。
イ 本件作品の掲載予定箇所二四ページを白抜きで発売することも、雑誌としての態をなしていないから、買う者もなく取次会社も扱わない。
ウ 本件作品二四ページ分を抜き取って発売することも、「台張り」の関係上、本件作品のみの抜き取りは物理的に不能で、他作品も含め九四ページも抜き取らざるを得なくなり、雑誌の態をなさず、他の作者との関係でも出来ないうえ、装丁も不能か著しく変形し、減少ページ分の価格減額の手続もバーコード変更が間にあわず、取次店に取次を拒否され、ひいては経営不能となるなどの理由により、不可能である。
エ 原画のコピーを修正することは、コピーの画質が極めて悪く、用紙自体にも強度がないため、写植、製版等の作業に不都合が生じ、コピーを原稿にすることはできず、当夜の差し迫った状況ではなおさら不可能であった。
オ 代用原稿もなかった。
(5) 以上のとおり、原告の本訴請求は、右のように自ら被告青葉出版に余儀無くさせた修正及び修正後の掲載を理由とするもので、権利の濫用にあたる。
(二) 原告の主張
(1) 原告が本件原画を引き渡したのは八月一六日であり、これが被告らの編集方針に反するものだったとしても、ストック中の他の代替用作品への差し替えをすることが可能であった。
(2) 仮に、原告が本件原画を引き渡したのが八月三〇日であり、発行日に差し迫った時期であったとしても、被告らによる本件原画の改変及び改変後の掲載は、目的、手段のいずれからみても違法であり、著作権及び著作者人格権の侵害が正当化されるものではない。
ア 皇室のパロディー作品を掲載しないという被告らの編集方針は、出版業界一般で異論なく容認されているものではなく、そのような編集方針が存在したか疑問であるうえ、仮にそれが存在したとしても、極めて曖昧で不明確かつ場当たり的なものであり、改変の目的として正当なものではない。また、本件原画は改変しなくても、被告らに対する攻撃を招く虞れもなく、改変する必要性もなかった。
イ 被告らとしては、まず、原告と充分に論議を尽くし承諾を得て著作者自身の手によって変更するか、変更に応じないときはその作品の掲載を断念すべきである。また、被告らには、代用原稿を掲載するとか、仕事の早い他の漫画家に代わりの作品を依頼する、原告の過去の作品を転載する、などの代替手段が取りえたはずであるし、仮に改変する場合も印画紙になった段階で印画紙を使用して改変するか、本件原画のコピーを使用してコピーを改変することも可能であった。
3 正当防衛が成立するか。
(一) 被告らの主張(2と選択的に主張する。)
(1) 原告は、山下編集長との前記修正の合意に反する原画をそのまま掲載、発行させる意図を秘したまま、八月一〇日及び同月二八日の二度にわたって、修正、改変の承諾を与えた。
(2) 右承諾により、被告青葉出版をその旨誤信させ、同被告が他の手段を講ずる余地がなくなる八月三〇日夜になって、右承諾及び合意に反する本件原画を交付した。
(3) 右一連の行為は、原告の不法行為に該当する。
(4) 被告青葉出版の本件原画の修正、掲載は、被告らの権利を防衛するため、やむをえず行った行為であり、民法七二〇条一項の正当防衛に該当する。
(二) 原告の主張
防衛すべき被告らの権利についての具体的、実質的主張がなされておらず、被告らの主張は失当である。
第三争点に対する判断
一 本件の事実経過
1 証拠(甲一の1ないし42、四、七、九ないし一四、二九、乙一、五の1ないし9、八の1、2、九の1、2、一一ないし一五、二二の1ないし9、二三、二六の1ないし4、二七、二八、証人山下悦子、同千葉郁磨、同松田真一)に前記争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 原告は、昭和五八年、株式会社集英社発行の雑誌に漫画を掲載されて漫画家として世に出たが、当時山下編集長は、株式会社集英社の編集者であり、当時から、原告の担当編集者としてアドバイスや指導を与えていた。その後、山下編集長が同社を辞め、他社の雑誌の編集をするようになった後も、原告に作品の依頼をするなどの関係が続いていた。
(二) 山下編集長は、平成元年、被告青葉出版に移って、サクラの編集長となった。サクラは、被告青葉出版が編集し、被告スコラが発行する月刊のレディーズコミック誌である。
山下編集長は、平成二年六月、原告に対し、サクラにシリーズ漫画を連載することを依頼し、原告もこれを承諾した。そして、サクラ九月号から連載を始めることになり、同年六月一八日、予告カットを受取り、連載のタイトルを「衝撃のシリーズ やっぱりブスが好き」と決定した。
(三) サクラは、毎月一回八日に発売されるため、サクラの発売までの標準的なスケジュールは、前月二五日ころ原稿を締切り、同月二七日から二九日にかけて校了、同月三〇日から三一日まで下版、発売月の一日及び二日に印刷、同月三日及び四日に製本、同月五日及び六日に配本して、八日に発売という日程となる。ただし、原稿の締切については、現実に締切日を二、三日遅れてしまう漫画家もいるため、実際には、二八日くらいまでは最終許容範囲として、校了の日程を組んでいる。
なお、本件作品を掲載したサクラ一〇月号については、八月二五日が土曜日であったため、締切は二四日とされていた。
右の校了とは、被告青葉出版では、漫画家から受け取った原画の吹き出し部分に写植で打ったセリフを貼った上、各ページを縮小コピーして、そのコピーを校了台紙に貼り、三二ページ分毎にまとめ、原画を点検してセリフの写植の誤植や修正の必要な箇所があれば、校了台紙に赤で訂正箇所と内容を記入する作業を雑誌一冊分について行い、このようにして作成された雑誌一冊分の校了紙と原画を製版業者に渡せる状態に準備する作業をいう。また、下版とは、原画と校了紙を受け取った製版業者が、校了紙に赤で指示された原画の写植の訂正をした上、これを一ページ毎に撮影して印画紙に焼きつけ、これを被告青葉出版の担当者が見て指示のとおり訂正されていることを確認し、これを一六ページ分貼りつけたものを撮影して印刷業者に渡すフィルムを作成する作業をいう。
(四) サクラ九月号に掲載された原告の本件シリーズ一回目の作品については、ほぼ締切どおりに、七月二六日、被告青葉出版へ原画が引き渡され、特段の問題もなく、掲載、出版された。
(五) 原告と山下編集長は、平成二年八月一〇日、連載第二回の本件作品についてのネーム打ち合わせを行った。ネーム打ち合わせとは、漫画家が大まかにコマ割をして、各コマ毎にセリフを書き込んだ作品の下案(ネーム)に基づいて編集者と漫画家がこれから作成する予定の作品をチェックし打ち合わせることである。この時原告の示した本件作品のネームは芸能人の結婚をモチーフとしたものであり、テーマとストーリーには問題はなかったが、「ご結婚の儀」「鯰小路」「綾麻呂さま」「月子さま」という皇族を連想させるような表現がみられたため、山下編集長は、これを普通の表現に直すよう指摘したところ、原告も異論を挟まなかった。
(六) 原告は、同年八月二一日から同月二七日まで、予めその予定を山下編集長に告げることなく、モスクワに旅行したが、山下編集長は、同月二四日の原稿締切日を前に、同月二三日、原告方に電話をかけてはじめて、原告がモスクワ旅行に行っていることを知った。山下編集長は、従前の原告の仕事ぶりから、原告が締切に大幅に遅れることはあるまいと判断し、原告の帰国を待つこととし、原告が帰国した同月二七日、原告に電話連絡したところ、原告が、原画は仕上がっていないがこれから大急ぎで完成させると確約したため、山下編集長は、原告に対し、翌二八日に下絵のコピーを渡し、原画は同月二九日に完成させるよう、念を押した。
(七) 被告青葉出版のアルバイト社員千葉郁磨は、同月二八日夕刻、原告宅の最寄り駅である都営地下鉄船堀駅の改札口付近で、原告から本件作品の下絵のコピーを受領した。その下絵のコピーには、二一日までに間に合わなかったこと、敬語等については、マスコミの過剰な敬語使いを揶揄した意味もあるのでそのまま使ったこと等を記載したメモが同封されていた。
右下絵のコピーには、登場人物の男女が秋篠宮夫妻の似顔で描かれており、セリフもネーム打ち合わせ当時にあった「ご結婚の儀」が「御結婚式」と訂正された他は、「鯰小路」「綾麻呂さま」「月子さま」などの秋篠宮夫妻を連想させる登場人物名や皇室について使われることの多い敬語がネーム打ち合わせのときのまま書かれ、訂正がされていないものだった。
山下編集長は、このような下絵のコピーを見て直ちに原告に電話をかけ、登場人物が秋篠宮夫妻に似過ぎているから、ペン入れの段階で直すこと、また皇族を連想させる語句を直すことを指示した。これに対し、原告は当初は変える必要はない旨答えたが、山下編集長がどうしても変えるよう申し入れたため、最終的には、渋々ながらもこれに応じる返事をした。
(八) 原告は、同月二九日には本件作品の原画を完成させず、翌三〇日の夕刻になって、ようやく仕上がった旨の連絡をしてきたので、被告青葉出版の編集部員であった松田真一が、同日の午後五時ころ、船堀駅の改札口付近で、原告から本件原画を受領した。
山下編集長は、松田が持ち帰った本件原画を見て、本件原画には、依然として皇族の似顔絵、皇族を連想させる登場人物名、皇室について使われることの多い敬語が使用されていることに驚き、このような漫画をサクラに掲載することは被告らの方針に反すると判断し、直ちに原告方に電話をかけたが、原告はバレエ公演の鑑賞に出掛けて留守であったため、帰宅後の原告からの電話を待った。
同日午後一〇時ころになって、ようやく原告と電話連絡がとれた山下編集長は、「すぐに道具を持って編集部に来て、修正をしてほしい。」旨を申し入れたが、原告は、「語句の修正はしたくなかった。皇室を表す言葉をそのまま使いたかった。だから直さなかった。」「堂々と皇室批判をしたい。いまは不敬罪というのはないはずだ。」「あなたとこの問題について話し合いたくなかった。こんな場合に、編集者が何と言うか分かっている。言い争いになるのは嫌だった。それで迷って仕事がはかどらず、結局原稿が仕上がらないままソ連に行った。」などと聞き入れなかった。二時間位電話での修正の要求、説得の押し問答をした後、山下編集長が、「原告が修正しないなら、被告青葉出版の方で修正する。」旨告げたところ、原告はこれを拒否し、「原画の修正は承服しない。直すくらいなら掲載しないでほしい。」旨を述べるなどのやりとりがされた。
(九) 山下編集長は、右電話を切った後、翌三一日午前〇時ころから、本件原画に対し、修正液とサインペンを使って別紙1のとおり修正した。右の修正は、第三者から抗議を受けた場合に皇族がモデルではないと言い逃れができる最小限の程度とする方針で行った。同夜は、編集部員全員が三一日の午前二時過ぎまで残業して、本件原画について校了作業を行い、タクシーで帰宅し、山下編集長は、翌朝まで残って作業をし、製版、印刷、配本等の日程上、製版業者に原画と校了紙を渡さなければならない最終期限である三一日の朝に間に合わせた。
(一〇) 本件原画は平成四年一月頃に別紙1の修正が加えられた状態のまま原告に返却された。
2(一) 原告本人尋問の結果及び原告の陳述書(甲二九、五〇)中には、(1) 本件作品の締切は八月一七日ころであった、(2) 下絵のコピーは、八月一七日以前に渡した、(3) 本件原画も八月一七日ころに渡したもので、同月三〇日は、午後五時に家を出てバレエ公演を鑑賞して午後一一時か一二時に帰宅しており、同日に本件原画を渡したことはない、旨の陳述部分がある。
(二)(1) しかしながら、サクラが月刊誌であって、編集作業は毎月ほぼ同じスケジュールで行われており、通常は二五日が締切であることは前記認定のとおりであり、また、九月号の本件シリーズ第一回の原画がほぼ締切どおりに渡されたことも前記認定のとおりであり、従前の原告と山下編集長とのつきあいの長さや、それまで特に締切に遅れたりする傾向がなかった原告に対して、一〇月号に限り特別の締切日を設定することは考え難いことからすれば、原告の右(一)(1) の陳述部分はたやすく信用できない。
(2) また、千葉郁磨が八月二八日に原告宅の最寄り駅である船堀駅まで下絵のコピーを受取りに行った乗車料金請求書(乙五の9)があり、これを裏付ける総勘定元帳(乙二三)もあること、千葉は外回りで交通費を自弁した場合帰社した後メモ帳に記載しておき、月末に請求書に転記して乗車料金請求書を作成したものであること(証人千葉郁磨)、被告青葉出版の他の編集部員の記憶によっても、下絵のコピー受取は二八日であり、原告が主張する八月一三日ころに受け取った者はいないし、そのような乗車料金請求書もないこと(乙五の1ないし9、一四、一五、二二の1ないし9、二三、二六の1ないし4、証人松田真一、同山下悦子)、下絵のコピーに同封されていたメモによっても、下絵のコピー受渡しが少なくとも八月二一日より後であったことがうかがわれるのに対し、前記のとおり原告は八月二一日から同月二七日までモスクワへ旅行していること(乙二七、二八)、漫画家が編集部へ下絵のコピーを渡すのは、締切に遅れている場合に、校了等の準備のために行われることが多いこと(原告本人)に照らし、原告の右(一)(2) の陳述部分もたやすく信用できない。
(3) なるほど、八月三〇日に原告から本件原画を受け取ったとする松田の乗車料金請求書には、同日他の漫画家宅へ原稿受取に赴いた交通費、タクシーで帰宅した交通費の記載はあるが、原告の原画を受取りに行った際の交通費と見られる記載は存在しない(乙一一、一四)。しかしながら、松田は、平成三年七月に被告青葉出版を退職して有名企業に勤務しており、被告らのために嘘を言わなければならない利害関係はないうえ、同人の一年半程の被告青葉出版での勤務の中で、下版の日の夕方に、自分が原告から受け取った本件原画中の皇族の似顔絵を山下編集長が原告との長時間の電話の後に修正し、そのために松田を含む編集部員が深夜タクシーで帰宅しなければならなくなったということは、印象的な異常事態として記憶に残っていることは当然のことで、証人松田の証言は充分信用できるうえ、そのような異常事態の中で松田が本件原画受領のための交通費のメモをし忘れ、結果的に乗車料金請求書に記載が漏れていたとしても不思議ではないこと、原告のいうとおり本件原画が八月一七日ころ渡されたとすると、なぜ「二一日までに間に合いませんでした。」との記載のあるメモ(乙二七)を書く必要があったのか不明であることなどの事実に照らし、原告の右(一)(3) の陳述部分はたやすく信用できない。
(4) 結局、原告本人尋問の結果及び甲第二九号証、甲第五〇号証の前記部分はいずれも信用できず、前記認定の、原告は被告青葉出版に八月二八日に下絵のコピーを、同月三〇日に本件原画を渡したとの認定を左右するものではない。
二 争点1(承諾の有無)について
1 被告らは、八月一〇日のネーム打ち合わせの際及び同月二八日の下絵のコピー授受後の二度の原告の承諾に基づいて、本件原画の改変を行った旨を主張している。
2(一) しかしながら、八月一〇日のネーム打ち合わせの際の原告と山下編集長とのやりとりは、前記一1(五)認定のとおりであって、結局「ご結婚の儀」「鯰小路」「綾麻呂さま」「月子さま」という皇族を連想させるような表現を普通の表現に直すようにとの山下編集長の指摘に、原告も異論を挟まなかったことにより、黙示の承諾をしたというに止まるもので、その改変を被告青葉出版において行うことの承諾とはいえないし、絵の部分については、そもそも絵の入っていない、鉛筆書きのセりフだけのネームを見て、本件原画の改変に原告が承諾したものということはできない。
(二) また、下絵のコピーの授受のあった八月二八日のやりとりも、前記一1(七)認定のとおりであって、結局、山下編集長が、登場人物が秋篠宮夫妻に似過ぎているから、ペン入れの段階で直すように、また皇族を連想させる用語を直すように指示し、原告は最終的にはこれに応じたというもので、被告らにおいて本件原画を右合意に即して修正することについての承諾があったものと認めるに足りない。
(三) ましてや、前記一1(八)認定のとおり、八月三〇日夜の電話でのやりとりでは、原告は、山下編集長の修正してほしいとの要望を拒絶し、山下編集長のこちらで手を加えて掲載する旨の通告に対しては、「原画の修正は承服しない。直すくらいなら掲載しないでほしい。」旨を述べていたことが認められるのであって、これらの事実によれば、原告が、被告らに本件原画の修正についての承諾を与えた事実を認めることはできないし、前記合意から承諾の意思があったものと解することもできない。
3 以上のとおり、承諾があったとする被告らの主張は、これを認めるに足りない。
三 争点2(権利濫用)について
1(一) 山下編集長が本件原画に別紙1のとおりの改変を加えたことは、少なくとも外形的には原告の本件原画についての同一性保持権を侵害するものということができる。
(二) 他方、原告が、ネーム打ち合わせの際及び下絵のコピー授受の後、山下編集長に対し、皇族を連想させる表現を使わないこと及び皇族の似顔絵にしないことの約束をしていたもので、原告は締切を大幅に経過し、下版日である八月三〇日夕刻になってようやく本件原画を引渡したが、本件原画は、右合意に反したものであった。原告は、山下編集長からの右合意に従った修正要求に対し、八月三〇日深夜これを拒絶したが、山下編集長としては、皇族の似顔絵や皇族を連想させる登場人物名、皇室について使われることの多い敬語が使用された本件原画をそのまま掲載することは、被告らの方針に反するのでできないことであった(以上前記一1認定)。
また、八月三〇日夜の時点で、被告青葉出版には、本件作品に代えて掲載可能な代用原稿のストックはなく、サクラ一〇月号から本件作品のみを抜いて発行することは、印刷が三二ページを一単位(台)としてされるところ、本件作品は前後三台にかかっているので、結局三台九六ページを抜き取らざるをえないことになり、他の作者の作品にも影響を与えるため不可能であった(乙一五、一六、検乙一ないし三、証人山下悦子、同松田真一)。
さらに、原画を撮影して作った紙焼きは表面が非常に滑りやすく、普通の水性インクや修正液が乗らず、しかも、原画の八二パーセントの大きさに縮小されるので、作業が細かく困難なため、紙焼き上の修正は簡単な作業の場合行うことがあるが、絵柄の修正等には不向きである。そのうえ、紙焼き上での修正は山下編集長が実際に行った原画上の修正にかかった時間より長い時間を要することが予想され、下版を行う株式会社二葉企画の工程上、印刷業者に持ち込む納入時間を超過してしまうおそれが大きく、ひいては発売遅延という結果を引き起こすおそれがあることから、結局、紙焼き上での修正は不可能であった。また、原画をコピーしそのコピーを修正して製版することも、画質が悪くなり、しかも、用紙に厚みと強度がないため、校了作業にも製版業者での作業にも不都合が生じ、作業中にトナーがはがれやすい欠点があるうえ、コピーでの修正を行う場合、原稿のベタ部分を再度黒く塗りつぶし、吹き出し内の鉛筆文字を予め消しておく等の作業が必要となり、ますます時間を要するのでコピーでの修正も不可能であった(乙二九ないし三一、三五、検乙四、証人山下悦子)。
これらの事情から、山下編集長としては、本件原画そのものに修正を加えなければならない状況であった。
(三) 山下編集長は、右のような状況のもとで、本件原画に別紙1のとおりの改変を加え、これを掲載することとしたもので、八月三〇日の夜の段階で山下編集長としては、他にとりうる手段がなく、やむを得ず行ったものであったということができる。
右のような事実関係において、すなわち、自ら事前に二回にわたり、皇族の似顔絵や皇族を連想させるセリフ等の表現を用いないことを合意しておきながら、締切を大幅に経過し、製版業者への原画持込期限のさし迫った八月三〇日の夕刻になって、ようやく本件原画を渡し、長時間にわたる修正の要求、説得を拒否し、山下編集長を他に取りうる手段がない状態に追い込んだ原告が、このように重大な自己の懈怠、背信行為を棚に上げて、山下編集長がやむを得ず行った本件原画の改変及び改変後の掲載をとらえて、著作権及び著作者人格権の侵害等の理由で本件請求をすることは、権利の濫用であって許されないものといわざるをえない。
2 原告は、第二、三2(二)のとおり、本件原画を被告青葉出版に引渡したのは八月一六日であり、また仮に八月三〇日としても、(1) 皇室のパロディー作品を掲載しないという被告らの編集方針は存在自体疑問であり、改変の正当な目的とはいえない、(2) 原告と充分に論議を尽くして原告の手で変更させるか、変更に応じなければ本件作品の掲載を断念し、代用原稿を掲載するとか、手の早い他の漫画家に代わりの作品を依頼する、原告の過去の作品を転載する、などの代替手段が取りえたはずである、(3) 改変するとしても、原画を改変するのではなく、本件原画を撮影した印画紙またはコピーを使用して改変すべきであったもので、被告らの改変は正当化されえない旨主張する。
(一) まず、原告が本件原画を被告青葉出版に引き渡したのが八月一六日であることを前提とする主張は、前提事実が認められないから失当である。
(二) サクラは、レディーズコミック誌で、一般向け娯楽漫画雑誌の範疇に属するものであり、被告らにおいては、他の少なからぬ娯楽雑誌出版者と同様に、皇室批判や皇室を茶化した作品を掲載することはしない方針であったことは、証人山下悦子の証言及び弁論の全趣旨によって認定することができ、原告も、ネーム打ち合わせの際や下絵のコピーの授受直後の山下編集長とのやりとりの中で、山下編集長に対し、皇族を連想させる表現を使わないこと、皇族の似顔絵にしないことを渋々ながらも同意していたものであるから、山下編集長、被告らの右方針を認識し、渋々ながらもこれに従うことを同意していたものということができる。
前記のような被告らを含む出版者の方針をマスコミの自主規制として批判する見解がある(甲四二はその一例)けれども、前記のような方針をもって権利濫用について判断する上で顧慮される一要素とすることが許されないような不当なものとみることは相当でない。
原告は、皇室をモデルにした作品をコミック誌に掲載することがタブーであるということは、民主主義国家である日本で本来あってはならないことであるとの認識に基づいて本件作品を創作したものであり(甲五四)、右のような認識は原告の思想として尊重されなければならないことは当然である。
しかしながら、右のような認識に基づく本件作品を、本件原画のまま掲載、出版することは、本件原画のような皇族の似顔絵、皇族を連想させる登場人物名、敬語による表現について、賛同、多様性の中の一態様として容認、無関心等いずれの理由によるにせよ、問題にしない出版業者によるか、自ら出版するべきものであって、右のような原画のままでは掲載しない方針の出版業者の方針に従うことを一旦合意しておきながら、一定の期日に発行しなければならない商業月刊雑誌の出版のための作業日程上、許される期限間際に右合意に反する原画を引き渡すことによって行うべきものではない。
もとより、出版業者が、原画の内容が自社の方針に反するからといってこれを無断で改変することは、決して許されるものではない。けれども、事前の合意に反して自社の方針に反する原画を出版のための作業日程上、許される期限間際に引き渡された本件の場合、山下編集長がやむを得ずした本件原画の改変、掲載を理由に原告が損害賠償や謝罪広告を請求するのは、あまりに身勝手である。
右(1) の主張は採用できない。
(三) また、山下編集長は、八月三〇日の夜、充分な時間をかけて原告に自ら原画を修正するよう説得したけれども、原告はこれに応じなかったものである(前記一1(八)(九))。コミック雑誌で、漫画家が予定した原稿を出さなかったり、掲載できないような原稿が出された場合に、代用原稿や、同一作家の他の作品を掲載した実例がある(甲四六、四七、五〇、五四、原告本人)。
しかしながら、前記1認定のとおり、原告が、ネーム打ち合わせの際も下絵のコピー引渡直後のやりとりにおいても、皇族の似顔絵にしないことや皇室を連想させる用語を使わないことを合意していた状況のもとで、山下編集長が予め掲載可能な代用原稿を準備しておき本件作品を代用原稿に差し替えなかったことを重大な手落ちとみることはできない。
前記(2) の主張は失当である。
(四) 本件の場合、本件原画を直接修正したもので、厳密な意味での本件原画の復元は困難なものと推認され、原告の著作者人格権の侵害の程度は大きいと見られるところ、本件原画を撮影した印画紙や本件原画のコピーを改変したものを製版印刷すること自体は可能であるから、原画に改変を加えることなく修正することも技術的には可能であった(甲三二、三三の1、2、三四、五二の1、2、五三の1、2、五四、検甲一、二)。
しかしながら、一般論としては印画紙やコピーを修正したものによる製版印刷が不可能ではないとしても、本件の場合、前記1認定のとおり作業に更に長い時間を要し、日程上採用することは困難であったもので、山下編集長がそのような方法によらなかったことをとがめるのは相当でない。
前記(3) の主張も採用できない。
四 結論
よって、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
(裁判長裁判官 西田美昭 裁判官 高部眞規子 裁判官 森崎英二)
別紙1、2<省略>